【活躍する同窓生】大手企業 General Manager

石木 康之 さん 東京工科専門学校
情報処理科1985年3月卒業

<勤務先>
(株)日立社会情報サービス
ソーシャルサービス事業部
ソリューションサービス本部 本部長

評議員である八木さん(東京工科自動車大学校企画部/東京工科専門学校情報処理科1985年3月卒業)から、同期で活躍している方がいるので会ってみないかとお話をいただき、早速コンタクトしました。お会いしてから大分時間が過ぎてしまいましたが、活躍する同窓生の一人としてご紹介させていただきます。

石木さんの現在の勤務先である「株式会社日立社会情報サービス」は、誰もがご存知のビックネームである「日立」グループ(連結子会社数803社)の一つです。そこでSE部門の責任者としてご活躍中です。大企業の責任者ということで筆者も緊張しましたが、全体から醸し出される「出来る技術者、ビジネスマン」といった第一印象に反して、温厚なそれでいた大変スマートで語り口は、相好を崩してお酒が好きで仲間とよく飲みに行くと話される柔和な笑顔に接し、リラックッスしてお話を伺う事ができました。八木さん他、同期で温泉旅行にも行かれるとのことで、仲間を大切にされる方であることも伝わってきました。

卒業後の就職先は日立グループの会社で、入社後は、メインフレームや通信制御装置の設計開発部署へ配属され、その後は、UNIXサーバーの開発等を行ってきたそうです。10年間勤務された1996年、バブル崩壊の影響もあり、ハードウェア開発の部門からSE(システムエンジニア)の部門に異動。業務アプリケーションの開発等をされてきたそうです。2000年(35歳)から管理職となりマネジメント業務に加え、SEサービスの提供や新事業の立ち上げなどに従事し、現在のポジションになられたとのことです。

相当頑張って仕事をされてきたのでしょうねとの筆者の質問に、「いや、卒業後に配属された部署でソフトウェア開発が行えたということが幸いしていて、とてもラッキーなキャリアで来れた。これが、5年遅れていたら今のポジションでの仕事は出来ていなかったと思う」と話されていました。また結果論だが入社後の配属先が幸いした。そこで学んだことを活かす仕事ができたことが今に繋がっているのだとも話されていました。

どうして東京工科専門学校の情報処理科に入ったのか伺うと、「当初文系の大学にでも進学しようかと考えていたのだが、物理、化学はまるでだめだが、数学は好きだったこともあり、文系の大学出てサラリーマンをするぐらいなら、技術を身に着けて働くほうが良いと思うようになり、当時、コンピュータ-が一般化する兆しのようなことが見えたことから、ソフトウェア開発を学ぶことを選択して学校を決めた。他にも同じような学校は沢山あったのになぜ東京工科だったのかと伺うと、「自宅から近かったから」との答えであったので、教育の中身で決めたんじゃないんですねと嫌味を返すと、「そうなのだが、今があるのは東京工科の情報処理科に入ったからだよ」と・・・。筆者とも笑いながら・・。しかし、アセンブラ言語を使ってプログラムを読み解くなどすぐに役立つことが多かったとの事で、基本的に大卒採用のところ高専卒業、専門学校卒業者はごく少数であったが(部署には専門学校卒は石木さん一人だったそうです)、知識や技術が不十分であったと感じたことはなかったそうです。ただ、「いままで続けらえたのも、日立コンピュータの聖地で仕事が出来たことや、日立の優秀な先輩方が身近にいる事により、技術的な疑問をぶつければ、すぐに糸口を示し、指導してくれる中で仕事が出来たことが良かったと思っている。また1990年代前半まではコンピューターの黎明期であり、日々進化する過程で、働きながら学べたということが大きい。技術的バックボーンはこの10年間で全て覚えた。コンピューターシステムがどう動くか見ただけで分かってしまう位であった。」と。

環境が良かったとのお話は分かったが、そうはいっても石木さんが努力されて来た結果だと思うが、大企業でいわゆる出世コースに乗るには別の努力も必要だろうと思い、もう少し踏み込んで質問を続ける中、これは・・ということを聞くことが出来たのでご紹介します。

入社当時は社時の卒業校別スタートランクとし、専門学校卒という区分は無く、院卒、学部卒、高専卒に分けられており、専門学校卒である石木さは高専卒同等とされたとの事です。技術職から総合職への転換時期も大学学部卒に2年間遅れてその資格を得るという制度だったそうです。この差を埋めることとなるきっかけは、もう一度学びたいと思う時がくることがあるかもしれないと考えて、40歳代の時に大学3年時編入扱いで通信制大学を卒業して学士資格を取得されています。その後は、管理職としてのキャリアの中で、今までの経験値を活かしてもう一度勉強し直したいとの思いから、50歳になった時、技術経営を学ぶために芝浦工大大学 大学院 工学マネジメント研究科(MOT:Management of Technology) へ入学されます。2年後の52歳で技術経営修士(専門職)を取得されています。現在は芝浦工大同窓会のMOT支部の役員として席をおかれているそうで、小山学園同窓会へも協力のお願いをしたところ、快くお引き受けいただき、現在は評議員としてお力添を頂いております。

プライベートなお話はあまり伺えませんでしたが、業務と生活に余裕の出た30歳の時に友人2名と別荘を持ったそうです。お子さんが小さい時期は家族を連れて楽しい時間を過ごされたそうです。

この取材の後に席を移して、同窓生との旅行の話や、趣味のお話しなどを伺いました。酒席は好きだと言われるだけあって、気持ちの良い席となりました。