小山学園同窓会

一覧へ

INFO & REPORT

同窓会からのお知らせ・活動報告

2019.2.25 【活躍する同窓生】県下一の設計事務所

石川 隆大(いしかわ たかひろ)氏

専門学校東京テクニカルカレッジ 建築科2015年3月卒
株式会社 石川設計 代表取締役社長
株式会社 新設備設計事務所 代表取締役会長

同窓会で同窓生を紹介して行くことが決まった。
私が小山学園に来てから28年が経過し、すでに定年から2年が過ぎた。沢山の卒業生の顔が浮かぶ。様々な思いが走馬灯のように巡る。さて、どなたから紹介しようか?こんな気持ちで席を置く企画部内で話をしていると石川さんの名前が挙がった。私にとっても記憶に残る学生であった彼に会いに行ってみようと決まるのに時間は要さなかった。1月29日に青森県八戸十和田に向かった。ちなみに、青森県出身同窓生は164名、東北地方では910名いる。北海道は144名いる。多くの同窓生をこれから紹介していく初めての取材ということもあり、かつての教え子に会いに行くというある種懐かしい気持ちと、活躍している彼をどのように皆さんに紹介しようかと複雑な気持ちで新幹線に乗った。

八戸駅

まずは石川さんを簡単にご紹介したいと思う。

あきらかに他の入学生と異なる雰囲気、年齢も30歳を超えている。聞けばゲームソフト会社を経営しているのだという。さてなぜに建築科へ入学してきたのか。実家の家業は建築設計だと言う。その当時は実家を継ぐためと単純に理解していたのだが、今回お会いして、またご尊父にお話しを伺う中で、その当時の彼の思いを含め初めて知ることとなる。
  石川さんのご尊父は青森県で「株式会社 石川設計」を経営されている。石川設計の本社従業員数は29名、営業所、支社合わせると30名を超える。十和田を中心に主に青森県内で70%を官公庁、30%を民間受注にて、驚くことに年間70件を超す設計をこなしている会社である。 今回本人から、実家の設計事務所へ戻るつもりはなく、別の分野で独立する覚悟で上京してゲーム制作会社を立ち上げたのだと聞いた。私は、彼がなぜ父親の後を継がないと決めて、家業とは別の分野をあえて歩んできたのか、さらにその志を曲げて、立ち上げた会社をたたんでまで実家へ戻る決心をしたのか、その当時は知る由もなかった。
取材の連絡をしたときは、常務取締役であったが、当日渡された名刺には「社長」と印刷されていた。いよいよ経営のトップになったのかと感慨深いものがあった。
寒さと雪を心配していたが、心配をよそにその日の十和田は晴天で寒さもそれほどではなく、道路には雪も無かった。会長と副会長からは冬の十和田は雪も多く、寒い。また車での移動は東京人には危ないからと、私の身体を心配してか、はたまた年寄り扱いしてか、取材時期を春にずらしたらどうかとの話もあったのだが、思い立ったが吉日と出張取材に踏み切った。
車で八戸駅へ迎えに来ていただけるとの有難い言葉に甘えて、ゆるりと何か美味しいものでも食べるかと、ぶらぶらと駅近の店を物色して、ある定食屋で食事をしているとLINEが入った。すでに駅に着いているとのことで、600円の鱈フライ定食を急ぎ平らげて、約束の場所へ向かった。ちなみに「昔ながら」という定食屋さんは地元の方で満員で、この値段でこの味だものなあと納得。
白い50プリウスが目の前に留まり、温和な懐かし笑顔で、しかし、さすがにキリっとしたスーツ姿の彼が「三上先生、お懐かしいですね、どうぞ」と迎えてくれた。車中で昔話しに花が咲き、会社までの約1時間の移動はあっという間に過ぎていった。
当初の予定ではまずは会社にお邪魔してから、近隣の手掛けた建築物を拝見しつつ取材を進めることになっていたのだが、自宅を先に見て下さいとのことで、会社近くのご自宅に寄らせていたいた。もちろん彼の設計でした。

同窓生の石川氏1

さすがにご自宅周りの道路は雪に覆われており、その白い風景に溶け込むようにモダンなたたずまいで僕を迎えてくれた。鉄骨造?いやいや木造だそうな。室内は後ほどゆっくり拝見させていただくこととして、外観を写真に収めて本社へ向かった。
数年前に建て替えたという本社に着き、社長室(会長室)にご案内いただき、ご尊父にお会いしてお話を伺った。

同窓生の石川氏2

会社設立など今までの歴史などお話しを伺ったが、先に触れた年間70物件をこなす県内第1位の設計事務所となったことが納得できる方で、同じく建築設計を専門とした私も大いに刺激を頂いた。
後に彼から聞いたのだが、ご尊父は、市長に推されたことがあり、設計事務所をとるか、市長となるかという大きな選択をしたのだという。この選択が違っていたら彼はゲーム制作会社を継続していたのかもしれない。
その後、社内を案内していただき、18名の設計担当者が入っている設計室で、十和田工業高等学校建築科を卒業され今年度入社された、設計課技師補の立崎さんに「お仕事はいかがですか」と聞くと「楽しいです」と答えが返ってきた。石川さんは優しいですかと、決まり文句のような質問にも「はいとても」と笑顔で返事をいただいたが、社長の前ではそう言わざるを得ないような質問をしたことを多少後悔した。

同窓生の石川氏3

高等学校からの新卒採用との話に、ぜひ母校からもとお願いをしたところ、わかりましたと採用ご担当の執行役員である川村設計部長を紹介いただき、その折はぜひにお願いしますと設計室を後にした。その後、会議室、役員室、資料庫などくまなく案内いただいて、1階の接客コーナーで石川さんにインタビューを行った。

同窓生の石川氏4

(三上)

地元を意識されていると感じますが、地域に関係して何かほかの団体の役員などはやっているの

(石川)

十和田商工会議所 青年部 専務理事、済誠会 理事、十和田市警察友の会 理事、十和田青年会議所 特別会員 幹事の任をもらって活動しています。

(三上)

商工会議所や青年会議所などは予測していましたが、警察もと伺うとお父様が築かれた土台をさらに固めて地域に根ざしたいとの思いも感じるけど、ところで仙台に営業所を出して、同じ事務所内に設備設計事務所を設立したそうですが、今後どのようにしていくつもり?経営ビジョンなんかを伺いたいな

(石川)

石川設計はこれまで通り、建築を通して地域の文化の発展に貢献していきたいと思います。
そのための知識の深化のための努力を惜しまずにやっていきます。
宮城県仙台市の石川設計営業所については、二年以内に法人化し、仙台支社として独立させ,
仙台市に密着した地場の企業として発展するべく、組織化を進めていきます。
更に地元青森県から仙台へ出ていく人材の受け皿としての役目を担うべく、県内にも積極的にPRしてまいります。 なお、県内には青森県むつ市に今年の4月から営業所を設立し、県内の業務の円滑化を図ります。
子会社である新設備設計では次世代を担う設備設計の人材を育成し、技術者不足に悩む業界の中でもしっかりとしたサービスを提供できるように雇用と教育に注力してまいります。

(三上)

そこまで考えているとは、さすがですね。設備に関する考えも大変共感出来ます。活き活きして夢をもって仕事をしていることが良く分かります。 ところで聞きにくい話だけれど、また言葉が悪くて済まないのだけれど、これだけ多くの社員がいらして、ベテランの方も多いと思いますが、別の道で成功すると言っていわば故郷を去って東京に出て行った出戻り息子を皆さんはすんなりと受け入れてくれたの

(石川)

受け入れてもらいました。幾度かの帰郷の折に皆さんと話す機会をもらって受け入れてもらうように努めました、実際に会社に入ってすぐに専務というポストをもらって仕事をしていましたが、一度、忘年会でお酒が進んだせいもありますが、うらやましい、面白くないという声も聞きました。しかし、皆と同じく父の背中を追いかけてきた仲間であるという話をし、彼らの想いも素直に受け入れて仕事に邁進しました。今は、そのような話を聞くこともなくなりました。

(三上)

皆さんの姿を拝見してお話を伺っていく中でそのような感じはしなかったのですが、少し意地悪な質問でした。ごめんなさい。
仙台は青森と東京のちょうど真ん中ですから、東京へも意識があると思うのだけれどどうなのかな

(石川)

最終的には東京へという夢はありますが、中期的なビジョンでは、まずは組織の底上げと、課題である団塊の世代からの世代交代をしっかりと完了させる事だと考えております。

(三上)

大不況時代を乗り越えたとはいえ相変わらず競争は激化していると思いますが、ビジョンを伺えてよかったです。ストレートな話しぶりに感心しました。どうもありがとうございました。

学生時代の人懐こい笑顔が強く印象に残っていたが、その印象を残しつつ意思の強さが滲む姿に経営者としての覚悟を感じたインタビューとなった。 その後、本社近辺に点在する建築物を案内してもらったが、詳しい説明は控えて、写真でご紹介したいと思う。多くの実績がおありですのでご興味のある方はホームページを開いてみてください。

本社(左)/みちのく銀行(中)/岡本整形外科クリニック(右)

本社(左)/みちのく銀行(中)/岡本整形外科クリニック(右)

移動の道すがら「ゼネコン本社ビル」「店舗」などを車窓より拝見したが、地域密度に感心し、手掛けた建築物の多さ地域貢献したいという思いが伝わり、関心するばかりであった。

山崎パン 十和田工場(上)/アーチステーションとわだ(左下)/十和田カトリック幼稚園(右下)

山崎パン 十和田工場(上)/アーチステーションとわだ(左下)/十和田カトリック幼稚園(右下)

この幼稚園は石川さんが通われた幼稚園で、幼少期に一時期を過ごした古い園舎から道路を挟んで、竣工が目前です。2月の引き渡しを待つ工事中の現場を拝見しました。なお、古い園舎に隣接されている県の重要文化財に指定されたチャペルで結婚式を挙げたと伺って、地域に根差した経営方針の一端を覗かせてもらった思いがした。

この幼稚園の後に再度ご自宅をお尋ねして、奥様と、2歳になるお子さんにお会いした。床暖房の効いた屋内は暖かく明るく落ち着いた雰囲気を醸しており、ご家族の幸せな暮しぶりを感した。東京で知り合ったという美しい奥様も、ここに彼と根を下ろして暮らすことを決めたのだなあと、私の娘に重ねて、もし娘が北の地に嫁いだらどうだろうかという気持ちでお話を聞いていた。家族仲良く一緒に暮らす、そこがどこであれ関係はないんだよなあと、「家庭」「家」の意味をあらためて感じた時間でもあった。お出しいただいた津軽のリンゴは心地よく冷えて甘く、家族の暖かさを際立たせているように感じた。

同窓生の石川氏5

外に出ると、日が落ち始めたせいかとても寒く、あらためて東北を感じた。八戸駅まで送っていただく途中で、屋根のデザインが面白いライトアップされた建築物を見つけて何かと尋ねると、道の駅です石川設計が設計しましたと答えが返ってきた。駅までの間にまだありそうだねという私の問いかけに、ここから近くに一つありますと案内してくれたが、彼が会社に入って初めて設計したという、競技グランドに付属する観戦小屋(あえて小屋というが間口12M,奥行4Mの小さな建築物)であった。競技場への道はチェーンが掛けれて近くまで行けなかったが、遠目からのシルエットからは、拝見してきた建築物に比べて小規模であり、ここを見せてくれた意味を考えてみれば、彼はここからスタートしたんだなあという思いになり、今後設計のほうはどうしていくのかと聞くと、自ら設計をしていくことへの欲求は当然あるが、はるかに自分より優れた設計者を抱えている。設計するより、自分は会社経営者として生きていくと決めていますと力強く答えが返ってきた。
卒業生の活躍を願っているとはいえ、実際に肌で感じることが出来たことは本当に良かったと思う。
あまりに大きい存在であった父親と同じ道を歩むことへの恐れ、父を超えたいという思いから別の道を選択して成功する必要があった。そのためにゲーム制作会社を立ち上げたのだと話しを聞いて、テクニカルカレッジ入学当時、会社経営と並行してなぜ「建築」を学んだのか、父親の後を継ぐ目的のため(当然そうなることを予測しての選択であったと思うが)ではなく、父親の専門である「建築」とはいかなるものかを見るための手段であったのだということが分かり、建築を学ぶ中で、幼少期より見てきた父親の背中と重ねて、自らが「建築」という世界に触れる中で今の石川さんがあるのだということ、また建築へシフトした原点として学校があったのだということが分かった。
今後、東北地方での同窓会の開催、また支部として活動を広めていきたいとお話ししたところ、自分に出来ることであればご協力しますと話してくれた。今回の出張の成果の一つだと思う。
短い時間であったが、今日の一日を感慨深くかみしめて八戸駅で別れた。

学園本部企画部・同窓会事務局 三上 孝明